お前を信じる俺を信じろ
昨日、グレンラガンの映画紅蓮編を観た。
夫が作業をする間に流すというので、横で一緒に観ることにした。
TVシリーズが放送されている時、周りが賑わっているのは感じていたが、あまり観ようという気にはならなかった。
既に賑わっているところに入りづらかったのと、アニキが死んでしまうというのを知ってしまったからかもしれない。
1話も見ていないので、アニキに思い入れがあったわけでは全くないけれど、主要キャラクターが死んでしまうという状況はとてもつらい。
特に、シショーやアニキ、オヤジ、オフクロあたりは勘弁してほしい。
私はとんでもなく涙もろいのだ。
プリキュアの映画で号泣しているおばさんがいたら、私のことである。
調べてみると、放送が始まったのは2007年4月。
知らないアニキの死と向き合うのに10年もかかってしまった。
映画はほぼほぼ総集編のような感じということだったので、TVシリーズを見ていなくても、問題なく楽しめた。
やることが無茶苦茶でただ前に進もうとするアニキと、そのアニキに引っ張られて能力と根性を発揮する主人公がとてもいいコンビで、薄い本が厚くなるのを感じた。
アニキの台詞は映画版で一気に聞くとゲシュタルト崩壊がひどかったが、最後の言葉は特に印象に残った。
お前を信じろ。
俺が信じるお前でもない。
お前が信じる俺でもない。
お前が信じるお前を信じろ。
やっぱりゲシュタルト崩壊がひどく、唱えることもままならないが、覚えておきたいと思った。
自分を信じるのは難しい。
不思議なことに、悪い所は信じられても、いい所を信じるのは特に難しい。
そんな時は、自分を褒めてくれる誰かを信じてみてもいいかもしれない。
今度は自分で自分を信じてあげられたらいい。
母はやっぱり師匠だった~何かを始める時~
先週の土曜日、実家に帰った。
仕事がなくなってから1度帰っているのだが、海外から来た友人がどこか観光に行きたいというので、案内することになったのだ。
ちなみに、彼女は食べ歩きとショッピングを一緒に楽しんだ後、温泉の髪剪處(かみきりどころ)で髪を勢いよく刈り込んでもらい、大満足で帰って行った。
大胆かつ豪快。さすがアメリカンスタイル。
一緒に住んでいた頃は気が付かなかったことも、離れていると見えてくる時がある。
母は一言で表すと、「悩みがなさそうな人」である。
職場で実際に言われたことがあり、心外だ!とプンスカしていたが、否定は出来なかった。
母は何かを始める時もあまり考えない。
何故それをするのか?やりたいから!ただそれだけなのである。
余計なこと考えないので、思い立ったらとにかく早い。
そして、やめるのもとにかく早い。
材料や教材を買って満足してしまい、結局手をつけずに部屋の片隅に積まれているままなんてのは珍しくない。
自宅でヨガをするつもりでマットとDVDを用意していたが、フラダンスを始めていた。何を言っているか分からないと思うが(以下略)といった具合だ。
今回、そのことについて詳しく話を聞いてみた。
母曰く、やりたいことには旬がある。
やりたいと思った時が一番やりたい時だから、その時にすぐ始めないと、どんどん気持ちが冷めてしまって、結局何も始まらない。
だからまず始めてしまって、楽しければ続ければいいし、違うと感じたら辞めればいい。
考えるな、感じろ!
・・・それにしても考えなさすぎなのでは?というツッコミは野暮なのでこの際しないことにする。
なるほど、確かに私は始める前から続かなかった時のことを考えてしまい、中々始められない事が多い。
飽きてしまってもいい。
続けられなくてもいい。
時間が無駄になってしまってもいい。
材料や教材が無駄になってしまってもいい。
その材料や教材を買ったお金が無駄になってしまってもいい。
それを気にして物事自体を始められない事の方がよっぽど勿体ない。
私は難しく考え過ぎていたことに気が付いて少し心が軽くなるのを感じた。
いつまでも親に世話を焼かれたくないという生意気な反発心もあったが、まだまだ導いてもらうことは多い。
心の中で感謝しつつ、ゆずの夏色を「ゆっくり~ゆっくり~滑ってく~♪」と堂々と間違えながら鼻歌混じりに歌っていた母はやはりちょっと考えなさすぎる節があるように思う。
滑ってもいいから自転車に乗ろう。
夫の一言 ~コミュニケーション編~
「コミュニケーションって、相手と距離を取ることかも」
夕飯の支度をしながら、夫がふとそんなことを言った。
現在、夫は転職のため、WEB関係のスクールに通っている。
そこでは画像編集ソフトの使い方からWEBサイトの作り方を学んでいて、今は大詰めのグループ製作に取り掛かっている所だ、というのは以前にも聞いた話だった。
実際のクライアントから受けた依頼に対し製作をするため、自ずと熱も入る。
年々、グループによっては炎上してしまう所も出てきてしまうそうなのだが、夫のグループは比較的穏やかかつ順調に製作が進んでいるとのことだった。
しかし、中にはどうやらメンバー同士すれ違いが起きてしまったグループもあるらしい。
原因は、より親密になり結託しようとし過ぎたこと。
結果、考え方やスタンスの違いでバラバラに砕けてしまい、今は別々に製作を進めているような状態になってしまった。
コミュニケーションというと、自然と相手との距離を縮めようとしてしまいがちだ。
実際、これには私もかなり心当たりがあった。
仕事相手が「太っているからなんとかしないと」というので、服のサイズを聞いてしまったり
(単に失礼)
バイトで、食品の使用期限メモが開封前の日付になっているのを見つけて、「タイムパラドックスやー」と笑って話したら、その人が書いた本人だったり
(単に迂闊)
飲み会の席で、上司にキレッキレのツッコミを入れてしまったり
(関西人の悲しき性)
私は壁を作ってしまう方なので、少し失礼なくらいがちょうどいいと思っていた。
しかしこうしてみると、距離を急激に詰めようとし過ぎて、少しどころか普通に失礼になってしまっている。
人によって心地いい距離感というのは違う。
もっとぐいぐい来てほしいという人もいれば、土足で踏み込まれたと思う人もいるだろう。
「気さくな雰囲気だからきっとぐいぐい来てほしい人だろう」と思って踏み込もうとし過ぎると、意外と線は手前にあったりする。
コミュニケーションで大切なのは、相手と気持ちよく一緒に居られるための距離感をつかんで、それよりも中に立ち入り過ぎないようにすることかもしれない。
ハッピーライフ・ハッピーホーム
2週間程前、無職になりました。
大学卒業後4年間勤めていた会社を結婚を機に退職。
新しい土地に移り住んだ後、アルバイトを始めたものの、半年で契約満了。
直後は焦って就職活動をしてみましたが、なんとなくしっくりこず・・・。
この違和感はなんなんだろう・・・と思いながらもハッピーホームデザイナーに邁進する日々。
「このままではハッピーホームデザイナーどころか、アンハッピーライフデザイナーになってしまうで」
と夫に一本取られたところで、この機会に自分と向き合ったり考えを巡らせてみようと思い、ブログを始めてみる事にしました。
日々考えてみた事や、これまでの振り替えり、夫婦の事等、自分の記録用になりそうですが、やっぱり楽しみながら読んで頂ければ嬉しいです。